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自然と目が覚めた。外では夜明けを告げるように、あちこちで鳥が鳴いている。阿蘇の夏の朝は涼しい。自然と一眼レフを手にベランダに出た。カルデラのふちをなぞるように雲が動く。オレンジに染められた雲。いい自然だ。気づくと隣のベランダからもシャッターの音が聞こえた。操君も三脚にデジ一をセットして、撮影している。似たもの同士だ。撮らずにはいられない。

自然に見とれていると、操君が朝ごはんを用意してくれた。卵ご飯だ。新鮮な新鮮な卵で食べるご飯。阿蘇の朝の空気に包まれベランダで2人で食べる朝ごはん。ふとオレゴンで最後の演奏だといって、街中のだだっぴろい場所で夜のライトの下思いっきり歌ったことを思い出した。

その後、寝ている嫁をそのままに2人でドライブに出かけた。山を走り、風力発電がまわる広大な空間を、南阿蘇を一望する景色を、次々とフィルムに焼き付けていく。南阿蘇12時間の旅はまだまだ続いている。一度家に戻り、嫁を起こし、再度ドライブへ。ぶどう狩りをもくろんだが、空いていないようで、水源へ行き湧き出る水の綺麗さに感動した。南阿蘇のどの場所、どの空気も特別なものを感じる。どこの景色も美しい。そしてそこで暮らす人々の心も広く、深いようだ。







そうこうしているうちに、電車の時間が迫る。帰りは操君に飛ばしてもらい、せまり来る電車との熾烈なデッドヒートを繰り広げ、ぎりぎり駅について、まさに電車に飛び乗る格好で間に合った。そんな形でお別れとなったが、こんな短い時間で、阿蘇のすばらしさを伝えようとしてくれた操君とその家族にほんと感謝したい。ありがとう。

あぁ、目指すは鹿児島。

熊本ー八代まで行き、そこから今日の目玉となる、日本3大車窓の一つといわれる肥薩線の人吉ー吉松をむすぶ「いざぶろう号」に乗る。この肥薩線、非常に接続が悪く、基本観光向けの路線のため、普通のローカルで行こうとするととても鹿児島まで綺麗にいけない。が、この指定券を買い、このいざぶろう号にのることでスムースに進むことができる。12時ごろまずは人吉まで九州横断特急で行く。青春18きっぷは使えないが、しょうがない。そして、人吉からついに「いざぶろう号」にのりこみ、レトロなその内装に驚きつつ、日本3大車窓といわれるその景色を楽しもうとした、が実はこの路線非常に人気があり、指定席券が手に入っただけでも幸運であり、外の景色が楽しむことができない山側の席になってしまったのだ。まぁ、それもしょうがない。

社内のアナウンスが一生懸命この路線の誕生秘話を説明する。いざぶろう号というのはこの路線を開通した人の名前をとってつけられている。急勾配がつづくこの路線は、スイッチバック、ループなどの技術で線路を敷き薩摩と肥後の国をつなげている。さぁ、何度も出てくる日本3大車窓。どれほどのものかと期待したのだが、非常に天気が悪く、結局見れたのは真っ白な霧の世界。本当であれば、霧島連山が美しく見渡せるようだ。









いざぶろう号終点の吉松駅につく少し前に「真幸(まさき)」という駅がある。ここにはつくと幸せになれるという「幸せの鐘」がある。「真の幸せ」ということで特別切符もの売られているようだ。せっかくなので嫁と二人で一緒に鐘を鳴らした。あまりにも勢い強く鳴らしたため、予想外におおきな音がなり、自分自身びっくりしていると、すみません、と声をかけられた。テレビカメラを担いだお兄さんがいた。テレビのインタビューだった。「どこからきたのですか」から始まり、「なにを願いながら鐘をついたんですか」と。「新婚なので、この先幸せにくらせるように、と願いながら鐘をつきました」と応えた。さぞ、この真幸の名にふさわしいエピソードじゃないですか。使われたかどうかは分かりませんが、インタビューされたほうもおもしろい思い出ができました。

さて、吉松駅についた。ここから隼人へ行き、乗り換えて鹿児島へいく。隼人へは「隼人の風」という特急列車があるのだが、青春18きっぷの旅なので、普通列車で向かうことに。しかしその列車が来るまでだいぶ待ち時間がある。この吉松も何もないところなのでその待ち時間が非常に長く感じられる。1時間ほど待ち、隼人行きの列車に乗り込み、そこから鹿児島中央駅へ向かった。時間は17:30。

とりあえず、今日はホテルでゆっくりする。駅からバスでホテルの最寄バス停まで行く。が、乗るバスを間違えて、港に来てしまった。バスで戻ろうとしたが、どうも気が進まず、結局タクシーでホテルに向かった。夕飯はまた鹿児島中心部に言って、黒ブタかなにか食べたかったが、いかんせん2人とも疲れていたので、ホテルの向かいにある地鶏の店に入った。

さぁ、今日はゆっくり休もう。明日はこの旅最大の目玉である明治維新巡りだ。
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佐賀の朝はすこしゆっくりした。9時少し前に佐賀を出発する電車に乗ることにした。朝はホテルの朝食サービスでパンをたべ味噌汁を飲み、おなかの中では和と洋がごっちゃになっている。

今日は佐賀から熊本まで南下し、そこから南阿蘇へ行くという、移動がメインの一日だが、熊本では天下の熊本城を観光し、南阿蘇ではオレゴン時代の友人と何年ぶりかの再会をする予定だ。

佐賀から熊本への道は地図上では結構遠くに感じるが、電車としては鳥栖で乗り換え、熊本行きへ乗るだけだ。時間として2時間半弱で、途中海沿いを走ったりするため飽きることもない。ちなみにJR九州の車両は非常に新しく、座席のデザインも斬新だ。

熊本には11時半ごろついた。まずは腹ごしらえだ。熊本といえば全国に名を轟かせる熊本ラーメン「こむらさき」である。横浜ラーメン博物館でかつていただいたことはあるが、ぜひ本店でその味にもう一度触れてみたい。熊本市電に乗り、水道町で降りる。アーケード商店街を北にあるきこむらさきに向かう。途中、北京オリンピックで北島が金メダルとったというニュースで街頭のテレビ前に人だかりができていた。

こむらさきにはやはり行列ができていた。その列に並び、順番を待つ。15分ほど並び、最初相席になったが、途中で席が空いたということで、一緒に座っていたお兄さんは別のテーブルへいった。こむらさきのラーメンは本当においしい。このとんこつスープとにんにくの組み合わせが絶妙。食べるたびに感動してしまう。

その後歩いて熊本城へ向かった。途中道を間違えてかなり遠回りをすることになったが、結局熊本城の裏側から、普通こんなところから上っていくかというところを上り、熊本城敷地内へ入った。広大に広がった広場から遠くにそびえる熊本城を見たが、その貫禄は姫路城よりすばらしい。激しく照らしつける太陽の光に参りながらも、その雄姿を写真に収めていく。本丸御殿にも入ったが、肝心の華麗な「昭君之間」は人が群がっておりあまり見ることはできなかった。

さて、外に出ると雨が降り出した。傘は1本しかなく、嫁と二人で一本の傘の下に収まって歩くことにした。雨が降る中市電の駅まで行き、熊本駅に戻った。そのころには雨は止んでいた。さぁ、南阿蘇に向かう。降車駅は肥後大津駅。電車の中は学生や子供達でいっぱいだ。スーツケースを転がす2人はあまりに異様かもしれない。

肥後大津にはオレゴン時代の友人 操君が迎えに来てくれる。事前に行くとは言ってはいたが、当日になって何時にいくからと伝え、ひどいのはいつまで滞在するかを告げていなかった。操君は操君なりに南阿蘇プランをいろいろ考えてくれていたようだが、明日の朝出発しなければいけないと伝えると、「阿蘇に来て1泊しかしないなんてもったいなすぎるさ」と残念そうな顔をする。

その短い12時間の阿蘇プランを即練り上げ、操君はさっそく南阿蘇のオススメスポットへご自慢のミニで連れて行ってくれた。操君のシフォンケーキのお店や水源、雄大な阿蘇をながめつつ、操君のお兄さんと見間違うくらいのそっくりなお兄さんのレストランでハーブをいただき、最後に操君の家へついた。







少し丘の上に建つ操君の家はその阿蘇の雄大な自然をこれでもかと満喫できるすばらしい家だ。さっそく家族の方や親戚とで食事会がはじまり、そとでドラム缶で焼き上げたピザに舌鼓を打ち、夜は近くの温泉へ行き、戻ってからは操君の部屋でまったりした。本人からすればそんなことはないだろうし、ある種違った悩みがあるのかもしれないが、会社勤めをしている自分から見れば、しばりがなく、ストレスレスで365日自然と向き合っていられる日々をここ阿蘇という土地で実現している。実にうらやましいことだ。

夜は更ける。


今日も歩く。

ホテルをチェックインしたが、午前中は長崎市内をあるくので荷物は預かってもらった。

ホテルから15分ほど歩いたところにめがね橋という橋がある。2つのアーチ状の橋が水面に映りのびたくんのめがねのような形になるからこの名前のようだが、近所の子供も遊びに来ていて穏やかな雰囲気だった。





そこから龍馬通りをめざし歩いていたころ、にぎやかな祭りの音が近づいてきた。小さな子供達が鉢巻をして龍を担ぎ威勢良く歩き近づき、去っていった。普通の住宅街。子供が壁とキャッチボールをしている。龍馬どおりは住宅街のなかにひっそりとあり、そこを上っていくと亀山社中跡がある。この龍馬通りはもちろんそこに住んでいる人にとって見れば生活の道であり、毎日通っている道である。行きかう人々におはようございます、と声をかけると、明るく返事をしてくれる。気持ちがいいものだ。登りは結構距離を感じるが、やっと亀山社中跡まで来れた。ただ、現在は一般公開されていないため、門とその前に建てられた亀山社中の跡という石柱を見るのみ。

 

その道を少し奥へ行くと、龍馬のブーツ像もあり、長崎の街を眺めることができる。龍馬はこの坂を毎日のように駆け上がって、これから行く道を外国の船が行きかうこの長崎港の景色を眺め、日々思案していたんだろうと思うと、感慨深いものがある。嫁と二人で交互にこの巨大なブーツを履いて記念撮影をした。

本当はもっともっとここで時間をかけてみてまわりたかったのだが、時間がないため、亀山社中資料展示館へいくことは断念し、そのまま坂を上り続け風頭公園へ向かった。ここには大きな龍馬像が建っており、堂々と長崎の街を見下ろすわけでもなく海の向こうを眺めている。その姿をみると、その短い人生が、刺客に打たれた最後が、ほんとに悔やまれる。





暑い。長い坂道を登ってきてだいぶ疲れた。少しこの公園で涼み、今来た道をまた戻り、歩いてホテルまで行った。そして荷物を受け取り、長崎を後にした。丸一日という短い滞在だったが、九州旅行の最初の街にふさわしい場所だ。

次に向かうは、佐賀。嫁の母方の在所がある。佐賀へは特急を利用した。佐賀駅前のビジネスホテルにチェックインし、用事でたまたま佐賀へ帰ってきていた嫁のお母さまと嫁のおばさまにあたるお母さまの姉の出迎えでおばあちゃまがいる神埼へむかった。そこには親戚大集合だ。話には聞いていたが、九州ばあちゃまはほんとに元気がいい!

おばあちゃまの家からすぐそばにある吉野ヶ里遺跡へ行こうとしたが、雷注意報が発令されており入場できなかった。非常に残念だ。しかたないので、吉野ヶ里遺跡の周辺をドライブし、雰囲気だけは味わってきた。

そして夕食をご馳走になり、夜遅くだったが、嫁のお母さまの弟さん、嫁のおじ様に佐賀まで再び送っていただいた。

忙しく大変な中よくしていただいて、本当にありがとうございます。

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