旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間) 移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス | ||
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8/30(七日目): 青森 (青森)→川部(青森)→鯵ヶ沢(青森)→深浦(青森)→東能代(秋田)→追分(秋田)→男鹿 (秋田)→男鹿温泉(秋田) (赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。) |
青森は、折り返し地点だ。昨日、到着して、今日出発だ。これが、ねぶた祭りの時期だったらこの町にいる期間も長くなったであろう。しかし、青森の熱い夏はすでに過ぎ去っているのである。今日は、東北の西側、つまり、日本海へ沿って南下する経路をとり、最終的な目標地点は秋田県、男鹿半島である。男鹿半島の男鹿温泉郷は全国有数の温泉地で、日本海に沈む夕日を見ながら温泉に浸かれる最高の地だ。

よし、この五能線でいこう。決断ははやい。早速時刻表のページをめくりにめくる。8時33分青森発は変わらない。9時11分に川部に着き、9時40分に五能線に乗り換える。ひたすら走り続け、東能代に13時47分に着き、13時57分に奥羽本線に乗り換え、14時44分に追分に着き、男鹿線に乗り換えて、15時39分に男鹿駅だ。








深浦で一度乗り換える。ここから今度は海岸線沿いを南に走ることになる。のんびりと各駅列車を満喫する。途中、すごく豪華な列車とすれ違った。展望車両やお座敷など見たからに特別列車だろうと思われるその列車の名前は「リゾートしらかみ号」。夏季限定の特別列車だった。いつか乗ってみたいと思う。電車は能代を過ぎ、東能代についた。時刻は13時47分。10分後に奥羽本線に乗り換える。追分に着いたのは14時44分。そこから、男鹿線に乗り換えて、終点男鹿までいくのだ。



今日はあいにくの曇り空だ。天気がよければ、日本海に沈む夕日を見ながらお風呂に入ったりも出来るし、入道岬へ行って、その夕焼けにそまる空を拝むことも出来るのだが、天気のことはしょうがない。温泉周辺もとくに見て周るものもないということなので、部屋でほんとにのんびりすることにした。テーブルに置かれていた、男鹿のお土産の和菓子が本当においしい。これをお土産に買って帰ることを即決めたくらいだ。テレビをみながら、時間が流れるのを待つ。

夜八時過ぎには、布団をしいてもらった。この布団を敷きにきてくれた女の子、見かけはしっかり者で25,6ぐらいに見たのだが、年を聞いてみると、なんと19歳!!高校卒業したばかりだという。そして、結婚もしているらしい!わお!彼女と二人で驚きを隠せない。あぁあぁ。びっくりだ。
夜は、本を読みながら寝てしまったようだ。彼女も本を読みながら寝てしまったみたいで、気がつくと、電気をつけたまま、布団もかぶらないで寝ている。起きるとき、僕はかなりの金縛りにあったのが、どうしても忘れることが出来ない。目を覚まして、あ、電気がついていると気づいたのだが、体が全く動かず、隣で彼女が寝ているのも見えたが、呼びかけようにも声が出ず、あー金縛りにあってるんだなぁとすこし抵抗してみた。体は動かない。目をあけても見えるのは天井ぐらいだ。しょうがない、このまま眠るかと思ったときに、体の自由が利くようになった。読みかけていた本をもう一度読みはじめ、「海辺のカフカ」を読み終えることにした。謎多く終わるこの小説に、いろいろ考えさせられたが、こういった旅行の共だからこそ、その考えも深いものになる。村上春樹の作品はノルウェーの森に次いで2作品目だったが、どちらも青春を語る作品で、これから自分はどういう生き方をしていこうか、と考えさせられるのだ。ノスタルジックな雰囲気を持つ村上春樹の作品が人気があるのも納得できる。
さぁ、夜も深い。部屋の電気を消して、再び寝ることにした。

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旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間) 移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス | ||
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8/29(六日目): 十和田湖 (秋田・青森)→奥入瀬渓流 (青森)→青森 (青森) (赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。) |
奥入瀬渓流。この渓流の地名をこれまでどれだけ思い出してきただろうか。それほど、行きたい場所ナンバー1だった。その奥入瀬渓流散策という夢がこの日叶う。
昨日、いつの間にか寝てしまい、多分10時ぐらいには夢の中だったんだろう。そのため、今朝は5時ぐらいに目が覚めた。朝日が厚いカーテンの隙間から部屋に入り込んでいる。彼女は隣のベッドで眠っている。起こさないように、そうっとカーテンをひらいた。暗かったホテルの一室が、まぶしい朝日に照らされて、その日の始まりを示す。ホテルの隣の芝生の広場には、老夫婦が手をつないで散歩をしている。窓を開けてみると、小鳥のさえずりが聞こえてくる。どこから聞こえてくるのだろうか。顔を出して上を見てみると、鳥の巣がびっしりと作られている。すごい光景だ。そこから、鳥たちが飛んでいったり、彼らの巣に帰ったりと、せわしく動いている。湖は光を反射してきらきらと輝いている。どことなく懐かしい気持ちにもなるが、初めて来たんだと思いなおすと、なおさら変な気分になってくる。
あまりのまぶしさに彼女が目を覚ました。6時過ぎごろだったろうか。実は今日も早い。朝ごはんを食べて、ホテルをチェックアウトし、荷物を持ってバスターミナルに行く。その荷物を預けて、9時のバスに乗り、奥入瀬渓流の下流のほうまで行く。そこから奥入瀬渓流の散策がはじまり、上流へ歩く。つまり十和田湖にもう一度戻ってくる予定だ。そのためには、この時間帯に起きて準備するのが一番だろう。
準備を整え、荷物を持って部屋を出る。こんないいホテルに一泊しか出来ないことがとても残念に思える。東北を10日間で一周しようという無茶な計画で一日一日が本当に忙しい。またいつかゆっくりと来たい。ホテルの長い廊下を歩き、エレベーターで1階まで降りる。まずはチェックアウトをするためにフロントによる。同世代ぐらいの若いおねえさんが、相手をしてくれたが、自分たちはこうして気楽に旅をしているのに、その子は朝早くから客の対応で忙しく働いていると思うと、やるせない。と、おもったところでどうしようもないことだ。チェックアウトを済ませ、昨日夕飯を食べたレストランへ入る。朝食はバイキング形式になっている。これは特別な朝食でもなく、どこいってもありそうなありきたりなメニューとなっていた。それでも、景色はいいので、その分、気分は上昇だ。
さぁ、腹ごしらえも終わり、ボストンバッグを担ぎ、ホテルをでる。まずは、秋田県と青森県を分けている小川を渡り、湖畔沿いに歩く。昨日は何度も通った道だ。そして、バスターミナルへ行き、荷物を預ける。バスは9時出発。石ヶ戸までバスで行く。40分ほどの道のりだ。まずバスは十和田湖沿いに走り、奥入瀬渓流の出発点となる子の口で止まる。そして、今度は奥入瀬渓流沿いにバスは走る。車内では、それぞれの見所を案内するテープが流れ、その度にバスは減速する。この日、一番気分を落とさせるのはこのとき降り出した雨だ。土砂降りではないのでいいが、それでもかさやレインコートを必要とするぐらい降っていて、一眼レフを持ち歩こうとしている僕にとっては嫌な天気になってしまった。石ヶ戸でバスをおりた。そこの売店でレインコートを購入した。早速それをまとい、奥入瀬渓流の散策を始める。時は9時45分。



道のりは、石ヶ戸から子の口までの約9km。渓流沿いに作られたトレッキング用の道を歩いていく。その間には、いくつもの滝や美しい渓流地点があり、9kmという距離はあっという間に過ぎてしまう、ということに後で気づくことになる。無我夢中に歩いてしまう。無我夢中に写真を撮り、無心になってその自然美を見つめる。綺麗過ぎるのだ。一眼レフカメラで写真を撮り、デジタルカメラで写真を撮り、携帯電話で写真を撮る。途中、雨は止み、青空が見上げた木々の間から覗くようになった。そして、その太陽の光はぬれた苔や石、葉っぱを照らし、ものすごいさわやかな情景になる。この奥入瀬渓流の水位は通年ほとんど変わることがなく、石や倒れた樹の上にはかならず苔が生えている。もし水が増えたり減ったりするのであれば、苔は生えない。



結局、歩いて歩いて、3時間半ほどで子の口に到着した。予定より2時間ほど早かったので、ぺこぺこになったおなかを満たすためにお土産やの2階の食堂に入った。この十和田湖は水が綺麗過ぎて魚がいない。正確にはいなかった。そこから放流の試行錯誤が続き、ついにヒメマスの繁殖に成功した。そのヒメマスがこの十和田湖で一つの食になっている。それを食べたかった。時期により値が激しく変動するらしい。このときは一匹800円とのことだった。ちょっと高いなと思ったが、食はケチらないというモットーの上、山菜ピラフやうどんと一緒にヒメマスの塩焼きを注文した。十和田湖を眺める景色のいい窓際のお座敷で、食事をした。ほんと時間がのんびり流れている。
しかし、実際は時は着々と一秒一秒を刻んでいるのである。いつの間にか2時近くなっている。急がねば。この子の口から今度は遊覧船で休屋へ戻るのだ。そして3時の青森行きのバスに乗らなくてはいけない。食堂の道を挟んで向かいにある切符売り場でチケットを買う。50分のコースだ。休屋には2時50分の予定で、10分で荷物を受け取って、青森行きのバスに乗る。遊覧船は、十和田湖畔沿いに走り、その美しさを伝えていく。特に中湖とよばれる、第二の爆発でできた陸地沿いはなかなか見ることが出来ず、この遊覧船ならではの景色を拝めることが出来る。と、おもっていても、奥入瀬渓流のトレッキングの疲れがピークなのと、おなかを満たした満足感とで眠気がどっと襲い、結局終始爆睡だった。
この眠気がこの後の災難をもたらすことになるとは、夢にも思わなかった。
2時50分に休屋につく。遊覧船停泊場所は、バスターミナルから一直線の場所にあり、お互いがお互いの場所を確認することが出来る。迷うこともない。10分で荷物を受け取り、バスのチケットを買い、バスに乗る。彼女は、昨日から常々言っていたが、野いちごソフトクリームが食べたいと、今日もずっと言っていた。しかたないので、彼女はソフトクリームを買いに行かせ、僕は、チケットと荷物を引き受けた。僕は一直線にバスターミナルに行き、青森行きのバスチケットを購入し、預けていたボストンバッグを彼女の分も一緒に受け取る。そして、3時出発のバスに乗り込んで、場所を確保した。出発まであと数分が残っている。なんとか、間に合ったか。そう気を緩めて彼女を待っていたが、その彼女がバスに来ない。ちゃんとバスターミナルでバスに乗るって言ってあったのに、こない。だんだんと時間が迫り、僕はいてもたってもいられなくなり、バスを降り、運転手さんに少し待ってもらえるように頼み、彼女を探しにいった。まずは、その野いちごソフトクリームを売っていた店に行ってみたが、彼女の姿はいない。店内ぐるっと回っても、彼女の姿が見えない。自分が思っている彼女の姿はなんなんだろう?とわけわかんなくなり、これまで見ていた彼女の姿、髪型、服装がすべて違う世界のものなのだったのかと、なかば混乱状態になる。それでも、やっぱり彼女の姿はない。どこへいったんだ。時刻は3時を過ぎている。
バスに戻って、同乗するはずの彼女が迷子になっていると運転手に告げ、その事情を説明し、待ってもらうことにした。僕はもう一度ソフトクリームの店に行って、店員さんに、ソフトクリームを買った女の子がいなかったかと聞いた。店員さんは、「確かにいたが、結構前のことだよ」と教えてくれた。じゃあ、どこにいったんだ?まったくその行き先が想像できない。トイレかもしれないと思ったが、ソフトクリームを買う前に行っているはずだから、それはない。バスターミナルとそのあたりを走りに走って探したけれどもいない。運転手もすごく心配して探してくれている。バスターミナルのスタッフたちもどこいったどこいったと、騒ぎはじめている。バスの乗客は冷たい目で、窓越しに冷たい視線を流す。もう一度ソフトクリームの店に行ってごらんといわれたので、走って店にいった。それでもいない、とおもってバスターミナル方面に振り向いた時、彼女がひょっこりバスターミナル建物内からバスのほうに現れた。
あの、ばか!
急いで、バスに戻る。彼女は「なんで、電話にでんのや!」と意味の分からん言葉を発した。「ばかか!」と心の中で思うが、その言葉は出てこない。というのも、彼女は、どろどろに溶けたソフトクリームを右手に持ち、その溶けたソフトクリームは手の伝って下にぽたぽたたれているのである。これが、まさにあいた口がふさがらないというものなのか。今思い出してみても、このときの感情がないことが改めて分かる。どこいったんだと心配に心配を重ね、バスの運転手や乗客に多大の迷惑をかけてものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだったからこそ、見つけたら怒鳴ってしまうだろうと思っていたのだが、彼女のあまりに哀れな姿に、その言葉は胸のうちで爆発し、表はもうにたすら苦笑いというかなんというか。
散々待たせたバスは10分の遅れをだして出発した。彼女はだんだんと正気になって、冷静に何があったのか思い返していた。彼女の言葉によれば、遊覧船を降りて僕と別れた後、すぐにソフトクリームを買いにいったそうだ。そこまでは、僕の想定どおりだ。しかし、そこからが意味不明の行動だ。彼女は何を思ったか、もう一度遊覧船に乗るんだと思って、遊覧船乗り場に戻ったらしい。3時になっても僕が姿を見せないから、すでに遊覧船に乗っているのかとおもって、船内を覗いては見たが、見慣れた姿はない。そして、遊覧船ではなくバスに乗る予定だったことをうすら思い出し、溶けるソフトクリームを片手に、バスターミナルに戻ってきた。しかし、バス乗り場側に出てくればいいものを、なぜかその反対側のお土産屋の前で待っていたらしい。何かおかしいと思い、バス乗り場のほうに足を運んだところが、僕との再会ということになる。すべては彼女が寝ぼけていたからという結論に至る。しかもその行動の間、寝ボケとコンタクトレンズは乾いていてのとで視界がほとんどなかったそうだ。バスの中で、そんなばかな行動を思い出しては、笑い出す彼女が憎たらしくて、かわいい。
バスは、今日の朝走った同じ道を、今度は遅れを取り戻すようにすこし急ぎながら走る。朝は石ヶ戸でおりたが、今回はそのまま乗り続け、十和田湖を囲む山々を登っていく。一つ一つ温泉地を通っていき、八甲田山を上り、ロープウェイ乗り場により、また展望地をすこしスピードを緩めて走る。彼女は相変わらず寝ている。どこにそんな睡眠欲があるのだろうか。そんな彼女を見ていると自分も眠たくなってくる。ふとふと眠っているとき、体がバスがスピードを緩めるのを感知し、目を覚まさせる。ふと窓の外を見ると、すばらしい景色だった。森が波のように動いているようだ。ここはどこなんだろうと、流れているテープに耳をやるが、寝起きでぼんやりする頭にははきはきしゃべるテープの音声でも聞き取るには難しい。見下ろすその森がうねりを作る。そのうねりはまるで動いているように見え、「自然の雄大」さというのを肌で感じた。あとで、その森が世界遺産にもなっているブナの原生林である白神山地と東北の富士山と呼ばれる岩木山であることが判明する。

気がつくと、バスは市街地を走っていた。青森市だ。バスは6時ちょうどに青森駅に到着した。今夜泊まるホテルは、駅から歩いて10分ほどの場所にある。繁華街の一角で、青森ベイブリッジや青森観光センターのアスパムにも近い。その位置を駅の地図で確認して、ボストンバッグを担いで歩き出した。ホテルはすぐに見つかった。大きくその看板を出していたし、その周辺には同レベルのシティホテルが立ち並んでいるから、見落とすことはない。すぐにチェックインをして、部屋でくつろぐ。幸いにもこのホテルにはコインランドリーがある。旅行のなかで地理的には青森は引き返し地点となる。明日は日本海側を下ることになる。その中間地点で洗濯を済ませておきたい。持ってきている衣服にも限界がある。
そんなことより食事だ。時間は夕飯時刻なのだ。ホテルを予約する際に、ネットが使える部屋を指定しておいた。なので、パソコンを取り出して、ネットで青森市内のレストランなど調べ始めた。ぐるなびなどいろいろ調べたが、どうもあるいて行くには遠い場所ばかりだ。それに、青森名物というのはなかなかない。彼女に何が食べたいか相談してみると、てんぷらが食べたいといったので、その筋を検索してみたが、これもどうもいい店がヒットしない。こうなれば、ふろんとに人に聞いてみようということになり、部屋を出て、フロントへ行った。そこで、聞いてみると、歩いて5分ぐらいのところにおいしいてんぷらのお店があるという。地図にその場所を記してもらい、ホテルをでて、その店へ向かって歩き出す。青森の町はどこか落ち着いている。ねぶたから連想される熱い熱気はなく、町全体の空気が静かだった。


ホテルに戻ったのは10時近くなっていた。すぐに洗濯を始める。自動販売機で50円の粉洗剤を買い、洗濯機を回す。部屋に戻って、テレビを見たり、ごろごろしながら時間をつぶす。
どうも、諦め切れないものがある。
青森ラーメンだ。実は青森駅について、ホテルに来る途中、ホテルのすぐそばに青森ラーメンを見つけてしまったのだ。ご当地ラーメンを目にして、諦めるわけにはいかない。喜多方と同じようなことにはなりたくない。彼女に、その熱い思いを説明し、洗濯物を乾燥機に移してから、行ってもよいことになった。てんぷら屋であれだけ腹いっぱいにしておきながら、どこにそんなスペースがあるのだろうか、そう不思議で仕方がないのだろう。彼女はおなかいっぱいなので、僕一人で行く。

さぁ、今日はいろんなことがあったように思える。十和田湖から奥入瀬渓流、八甲田山、青森市内、いろいろ場所を移して、いろんなことが起きた。旅は折り返し地点。次は何が待っているのだろうか。

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旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間) 移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス | ||
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8/28(五日目): 盛岡 (岩手)→十和田湖 (秋田・青森) (赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。) |
今日は、盛岡からバスに乗り、青森県十和田湖に行く。
しかし、そのバスは11時45分ごろに盛岡駅を出ることになっている。それまでの時間、盛岡市内を歩くことにした。朝は、ホテルのフロント前に用意されたパンとコーヒーをいただく。昨日と全く同じものがそのままの位置でそのままの形で用意されている。それを手に取る客も、スーツに身を包んだ人が大半で、用意されている新聞を手にコーヒーカップを口元に運ぶ。何度も言うようだが、このホテルは、部屋は狭く、バスも狭いが、なんといっても立地はすばらしい。駅から歩いて3分ほど。真正面にあるのだ。拠点とするにはうってつけのホテルだ。一人4000円弱という値段は妥当だ。各部屋にインターネットが用意されていないのが残念だ。結局このホテルでは、フロントにパソコンをもって行って、回線を借りてネットをさせてもらった。常に、最善の旅行をするには各地各地での情報収集は不可欠であり、フロントで得る情報も重要だし、ネットから得る情報も重要だ。無駄足、無駄金をしないように、計画も臨機応変に変えていく。
例えば、今日がそれだ。もともと、盛岡ー宮古ー八戸ー十和田湖という計画が、最初の予定変更(一関から太平洋に出た)のために、盛岡ー八戸ー十和田湖に連動して変更となった。しかし、フロントにあった詳しい時刻表を調べてみると、盛岡から直通バスが出ている。その時間を比べてみると、到着時間は30分ほどの違いだが、八戸経由だと朝9時11分発の電車で行き、八戸で乗り換える苦労を考えると、(八戸に足を運べないことは残念だが、)直通のほうが断然ありがたい。飛行機で直行便を選ぶか乗り換え便を選ぶかと同じような選択だ。バスだと、出発時間は11時45分で料金は2850円だ。この予定変更も前夜のことだった。

盛岡は、宮沢賢治と石川啄木のゆかりの地である。宮沢賢治は花巻出身であるが、高校(当時中学)、大学は盛岡で過ごしている。そして、「注文の多い料理店」を出版した光原社があるイーハトーブアベニューと呼ばれる通りもある。彼の作品をモチーフにしたアートが道沿いに置かれている。石川啄木は盛岡から少し北にいった玉山村で生まれている。盛岡の高校(当時中学)を中退し、代用教員や新聞記者など勤めながら、各地を転々として、東京転居後、闘病生活の後27歳という短い人生を終えている。とにかく盛岡にはこの2人に関するものが多い。



少しさかのぼるが、野口英世記念館を訪れた時の話。野口英世と母のシカの親子愛は人々の心をひきつける力があり、母と子というテーマでいろいろなイベントが行われているし、それにちなんだ展示物もある。その中の一つに石川啄木の歌がある。
「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
人はみな、この詩を読んでどういう思いがするだろうか。(ふざけて母を背負ってみると、あまりに軽いのに驚いて、年老いていく母親を思うと、思わず涙が出てきて三歩すら歩けなかった。)という歌である。石川啄木、その母カツ、そして妻の節子、みな病弱で、1912年3月にカツが亡くなり、翌月の4月に啄木がなくなっている。この歌を読んだのは22歳のときだったらしい。どんな人でも、今はぴんぴんして元気な母親でも、いつかは。。と想像するだけでも、その心は痛んでくるんじゃないだろうか。この歌の歌碑はJR花巻線の平舘駅にあるらしい。
盛岡からは多くの人材が輩出されている。原敬、新渡戸稲造、金田一京助など。その功績を称える記念館、記念碑などは市内あちこちに点在するのだが、今回は時間がなくて周れないのが惜しい。石川啄木新婚の家をあとにして、次は一番の繁華街の大通に行ってみた。わざわざここに来たのには理由がある。それは、メモリースティックを買うためだ。実はパソコンは持ってきたのはいいが、USBケーブルを忘れてしまったのだ。旅中写真を多く撮るが、メモリがいっぱいになってしまって、この時点であと3枚しか撮れないという有様だった。急遽メモリースティックが必要になったのだ。そこで、電気屋さんに駆け込んだということ。この電気屋さんは、商店街の奥に位置していたので、商店街をひととおり見て周ることも出来た。帰りに、本屋さんで新しい本を買った。「夏の庭」だ。海辺のカフカはもうすぐ読み終わる。息抜きとして、短めの話を選んだ。というより、彼女がその話のあらすじを読んで、気に入ってしまったからというのが大きな理由なんだが。

バスの中では、音楽を聴きながらも、これまでになかった高速道路の移動を遠くに見える高い山々や広がる田んぼを見ながら時間をつぶした。そのうち、道は山の中へ入ったため、景色は単調となり、つまらなくなって寝てしまっていた。途中激しい揺れにかすかに目を開けるが、特にこれといって何かを見るためにあけるためでもない。すぐに目は閉じられる。幸いなことに、乗客はすくない。全員で6名ぐらいだったと思う。なので、荷物も別のシートに置き、彼女は前の席で寝ているため、2席を一人で占領できる。が、結局、彼女は寝心地が悪いと言って、隣に戻ってきてもたれかかって寝てしまっている。
どれだけたったのか。バスはかなり山の置くを走っている。そして、かなり高い位置を走っているようだ。バスのエンジンはこれでもかと力を振り絞って走っているような、荒々しい息を立てている。しかし、その力走も報われず、後ろには長い車の列が出来ている。道はくねくね曲がるのぼりの山道。当然、後続車は追い越せるわけもなく、仕方なく、バスについて走る。
その時、予想もしていない景色が広がった。真っ青に広がる湖がそのバスが走る道の遥か下に広がっている。高い山々に囲まれて、その湖はまさに秘境的な雰囲気を出していた。上に広がる空の青と、山々の緑を挟んで、湖の青。心を奪われた。これまで、いろんな自然を見てきたが、ここまで衝撃的に心に訴えかけてくる自然はなかった。今までとは違う何かがここにはある。
十和田湖。オレゴン州クレーターレイクと同じ火山の噴火によって陥没した山頂に水が流れ込んで出来たカルデラ湖であり、クレーターレイクと同じように透き通る青色でとてもきれいだ。十和田湖はクレーターレイクよりは大きいのだろうか。高校生のとき見た、奥入瀬渓流は、この十和田湖から流れ出る唯一の渓流で、その奥入瀬渓流と共に十和田湖という名前はこれまでずっと記憶のどこかに刻み込まれてきた。予想以上に美しいその景色に、驚いた。



ホテルに行ってみると、玄関先で出迎えの人が待っていてくれた。その人がわざわざ荷物を持ってくれて、フロントまで案内してくれ、チェックインが終わると、夕食の予約、そして部屋の案内まだ、最後まで丁寧に扱ってくれた。すみません、6000円しか払ってないのに、こんなに丁寧にしてくれて。。。




さて、湖畔を歩いて、休屋という湖畔でもっとも賑わうエリアをとおって、さらに奥に行く。十和田湖のシンボルである「乙女の像」をみて、十和田湖神社でおまいりして、また休屋まで戻ってきて、お店や露店などみながら、ホテルに戻ってきた。山の向こうに太陽が沈もうとしている。湖は少しずつオレンジ色に染まっていき、やがてオレンジ色は何かに誘われるようにすうっと引いて、代わりに暗い影が流れ込み、十和田湖に夜を誘いこむ。湖に浮かぶ小船がシルエットのように写る。
ホテルに戻って、夕食をいただいた。立派な御膳料理だ。きりたんぽもある。なんどいっても言い足りないくらいだが、やっぱり6000円は安すぎる。ビールもいただいた。気分は高ぶっている。ただ、隣の客とテーブルがすごく近いのには少し気を使う。特に、おじいちゃんおばあちゃんならいいんだが、隣も若いカップルとなると、どうもいい気がしない。お互いに気を使っているのがありありと分かるのだ。会話も少なくなるし、しゃべっても小さい声しか出てこない。この点だけはいただけなかった。
さぁ、夕食は終えた。時間にして8時近い。温泉でも行くか。浴衣に着替えて、タオルや洗顔料などもって浴場に行く。時間が時間だけあり、入っている人もまばらだ。のんびりできていい。お風呂の中ですこしストレッチしたりして体をほぐす。どうも最近からだがかたくなって困る。部屋に戻るとまだ彼女は戻ってない。テレビをつけて、丸山弁護士の100キロマラソンのゴールシーンを見る。娘と一緒に走っている。もうすぐ60歳になるこのおっさんが100キロ走りぬくとはだれが想像しただろうか。ライバルの北村弁護士も、丸山弁護士を抱き上げた。のちにそれは演出だと北村弁護士自身弁解していたが、感動したのは確かだろう。
そうこうしていると彼女が帰ってきた。24時間テレビに引き続き、法律相談所が始まった。あまり面白くなく、本を読み始めたが、すぐに眠くなって寝てしまった。

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