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GW、ほぼ終了に近いところまで来ていますが、
僕は、嫁の実家で過ごしていました。

山の整備をさせてもらったり、
田植えの手伝いをさせてもらったりして、
なかなか充実した日々を過ごせました。

体を動かして仕事するのは、
やっぱりパソコンに向かってやるよりは、
ぜんぜんいいですね。

ただ、自分が手植えした苗がちゃんと根を張って
稲として成長してくれるか心配です。
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Simplife+にはらしからぬお堅いタイトルです。

いきなり何を言い出すんだと思うかもしれませんが、
僕は16歳でミャンマーで一人暮らししてた時から、日本という国を考えてきました。

今日は最近感じる日本の限界と教育のあるべき姿を
なるべく簡単に書いてみたいと思います。
(でも、たぶん長くなります。。。。)

まず、このままの状態が続けば日本は確実に世界から孤立します。
モノをたくさん造って、売って、買って、消費してという時代は
たしかに日本の国力を押し上げました。
高度経済成長期がまさにその時代で、
戦後のモノがない時代のあと、自らモノを作り出すことによって
生活レベルを底上げし、モノにあふれることが豊かさだという
価値観に変わってきました。

その社会構造の中では、逸脱した人材というものは必要なく、
大量生産大量消費に見合う、誰もが同じ、平均的な能力が求められました。
よって、今のような教育カリキュラムが組まれたのだと思います。
いろんなことを覚えて、テストに合格して、いい大学を出て、いい会社に入る。
そういったレールが自然と生み出されました。

これはみんなと同じことをしていればよかった時代です。

しかし、時代は確実に変わりました。
情報社会です。
この社会の中では、いかに物事を考え、いかに行動に移すかが求められます。
それを実行できる人間は、この情報社会では急速に成長します。
事業を起こせば、たちまちモンスター企業となります。

では、日本にそのようなモンスター企業は、
と見渡しても正直言って見当たりません。

この違いはなんだと突き詰めて考えると、僕は、その原因は教育にあると思います。

日本の教育は上でも書いたように、平均的な人材を作るためのものです。
飛び出る杭は打たれるかもしれないし、ほっとかれるかもしれません。
そんなことはどうでもよくて、重要なのは落ちこぼれを作らないことです。
そこに重点が置かれているため、低いレベルを基準としたカリキュラムです。

今振り返っても、何を勉強してきたのだろう?って思うことが多々あります。
数学の公式をひたすら暗記したり、
英語の文法を必死で覚えたり、
歴史の年号と人物名、地名など暗記したり。
僕らが社会に出て生き抜いていくための知識ですか?

日本の教育で一番欠けているのは、考えさせることです。
「なぜ?」と疑問を持たせ、その答えを追及させることです。
それが一番重要だと思います。

「ここは受験には関係ないから、飛ばします。」そんな教育は教育ではありません。

必死で覚えた微分積分の公式は、社会人となって何につかうの?
日本語だって文法間違いながらみんな話してるのに、
英語は少し間違うだけで先生に注意されまくり、話せるようになるわけがない。
いい国作ろう鎌倉幕府、、、、、だから何?

子供たちが、なんでだろう?といろいろ質問できる環境であれば、
子どもたちはどんどん考えるようになって、
自らの判断で物事を見極める力が付きます。

竹中平蔵さんはあるイベントで、若者たちに向かって
「誰も雇ってくれないと嘆くなら、100円で起業して社長になればいい」
とおっしゃっていました。
その発言自体は正しいんだけど、今の若者たちがそうですか、
と起業できるわけがありません。
今の教育を受けてきた若者が、大学はいるために勉強してきた若者が、
こぞって自ら起業するとは到底思えません。

教育は国の力を大きく動かします。

だったら、教育の内容を変えればいいんです。
でも、言葉で言うのは簡単ですが、実際むずかしいと思います。

それはなぜか。

日本の国自体(政治や官僚の方々)が日本の行方を見失っているからだと思います。
何をやるにも目的があります。それは教育にも言えます。
この先、どんな人材が必要なのか?
どんな国にしていきたいのか?
そういう目的をなくして、教育なんてありえません。

ついこないだインド式算数が話題になりました。
先日本屋では、フィンランド式教育という本がずらりと並んでいました。
なんで日本はいつもこうなんでしょう?馬鹿らしく思います。
どこの国がどうやっていようが、それはその国だから成功する話で、
日本で同じことやっても成功するとは限りません。
まず日本は、何を求めているのか、何を教えなければいけないのか、
そこを明確にしてから、ではどうやって学ばせるか、という議論をすべきです。


幼稚園やかろうじて小学校までは、自分の夢を大きな声で言えます。
中学になると途端に声に出せなくなります。
高校では大学に受かることや就職することが目的となります。

本来は、飛び出る杭をもっと飛び出させるようにしていかないと。
大学に入るのも、就職するのも、起業するのも、放浪するのも、
すべては生き方の一つでしかありません。どれがいいかは自分が決めることです。
その決断するためには、物事を自分なりに判断する力が必要です。
それを身につけるには、どの教科でも「なんでだろう?」と問いかけをして、
本質を正しく知り、判断する訓練が必要です。
そういったことができれば、日本は活気づくと思います。
そして、その時には、価値観は大きく変わっていると思います。
GDPや所得やモノではなく、
もっとほかのところに豊かさのバロメーター持つことになるのではないでしょうか?



正直に生きる。

自分に正直に生きる。
自分の意思に正直に生きる。
自分の夢に正直に生きる。

少しでも、思い、意思に背くと、
そこから先、些細なことに嘘をつくことになり、
言動の端々が言い訳じみてきます。

そこから負の連鎖でどんどんその輪は広まっていきます。

まわりもそのことに気づきはじめますが、
自分が一番わかっているはずです。

でもその負の連鎖を断ち切ることは簡単ではありません。
むしろ非常に難しいと思います。



正直に生きる。


それは一つの魅力です。
正直に生きる人は、とても素敵な人です。
だって、嘘、偽りがないからです。

そういった人になり、そういった人生を送る。


そういった人が増えれば、街も地域も国も活気がついてくるんじゃないのかな。


さ、その一歩を踏み出しますか。

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