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旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間)
移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス





8/23-24(一日目):
岐阜 (岐阜)→東京 (東京)→大宮 (埼玉)→宇都宮 (栃木)→郡山 (福島)→猪苗代 (福島)→会津若松 (福島)→喜多方 (福島)→会津若松 (福島)→猪苗代 (福島)→郡山 (福島)→福島 (福島)→仙台(宮城)

(赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。)

23日、23時15分、僕と彼女は岐阜駅にいた。23時29分岐阜発のムーンライトながらに乗るために。


今回の旅行は、青春18切符を駆使し、東北全県を周るというもの。そのために、1、2ヶ月前から計画を立て、ホテルや旅館を予約していた。旅行日数は11日間。その短い期間で、東北全県を周るというのは結構きついかもしれない。だから、ほんとかいつまんで周る感じの旅になるだろう。実はこの旅行は、もとは高校3年生のときに思いついた旅行計画。当時、青春18切符の存在を知り、2年生のときは東京や大阪、神戸などなどいったりきたりの鈍行のたびをしていた。じゃあ来年は東北だ、と意気込んで計画を立てていた。本屋で見かけた東北のぷるるの表紙に載っていた奥入瀬渓流の写真に一目ぼれしたのだ。ここに行きたい、そう思い続けていたが、高校3年生の夏に実行されることはなかった。それから5年がたっている。5年という時間を経て、アメリカ留学をはさみ、さらに日本を思う気持ちが強くなり、その思いは東北へ行ってみたいという気持ちを後押ししてきた。そして今、それを実行するに至る。


ムーンライトながらがホームにやってきた。これに一歩踏み込んだ時点で、この東北鈍行旅行がスタートする。先頭車両の一番前の席。乗降口とは壁があり区切られてはいるが、他の車両と違ってドアでその空間は区切られていない。つまり、指定席を取れなかった人たちはその踊り場でたむろするのだが、かれらのうるさい話し声は直接同じ空気を伝って僕らの耳に届く。あまり進んでこの席に座りたいという人はいないだろう。彼女は乗ってちょっとたったら寝始めたが、僕は明日乗る電車の確認をしなければならない。ネットで調べておいた路線と時刻表の時間を確認してたのだ。というのも、初日の今日こそがこのたびで一番移動距離が長く、そして体力を消耗する。夜行で岐阜から東京へ行き、すぐに京浜東北線に乗り換え大宮まで。大宮から宇都宮、宇都宮から郡山まで行く。そして、磐越西線で猪苗代へまず行き、猪苗代湖畔、会津若松、喜多方を回った後、郡山へ戻り、再び東北本線で福島までいき、そして乗り換えて仙台まで行くというもの。まさに移動が大半を占め、限られた時間でどこまで観光できるか、そういう過酷な一日だ。乗換えが特に多く、しかも東京駅では3分とかなので、ホームを間違えないように、そして時間を常に把握しておけるように、時刻表に印をつけていった。もし乗り損ねた場合の次の列車の時刻も確認し、それにあった旅行計画も立てておく。


東京への夜行列車は、もう慣れた路線だが、今回、一番気になったのはやはり、指定券を買えなかった人たちが、乗り降り口のスペースで眠ることなくずっとしゃべり続けてたことだ。かれらの有り余る若いというエネルギーは騒音となってくつろぎたいという思いを邪魔してくれる。本当にうるさい。寝かしてくれよ。彼女なんかはめっちゃにらんでいた。そのあまりにも鋭い視線に、つい「睨みすぎ」と注意をしてしまうくらいに。


東京についたのは、早朝4時42分。そして、3分後の4時45分には京浜東北線に乗り込まなければならない。大きなボストンバッグをかついでいそいで急いで移動だ。でも事前にホームナンバーなど確認しておいたから難なく乗り換えできた。それにしても、東京来るとなんか懐かしい気持ちがする。僕は都会派なのか。朝からたくさんの人が電車乗ってたりすると、なんかほっとした感じを覚えてしまう。さて、ここからはまさに大移動だ。といっても、それまでも大移動なのだけれど、東京以北へ行ったことがないからこそ、新たな気持ちになる。眠気と戦いながら、電車を次々乗り換えていく。5時32分に大宮に着き、東北本線に乗り換え5時36分に大宮を出て、6時51分に宇都宮着。6時58分に宇都宮を出て、7時48分に黒磯着。7時53分に黒磯を出て、9時1分に郡山に着く。ここで東北本線をはなれ、磐越西線で9時4分に郡山を出て猪苗代へ向かう。この磐越西線で向かいに座ったカップルらの態度がすごく好ましくなく、彼女と供に機嫌が下降気味になっていく。彼らの話から推測して、彼らは東京出身で、彼女はシロガネーゼらしく、彼氏もその近くに住んでるらしい。会津若松周辺を観光し、帰りはレンタカーで東京へ戻ろうか、など話している。どうでもいい。勝手にしてくれ。窓を開けて頭を外に乗り出したり、他の乗客への思いやりがないのか、大きな声で会話をする。ほんと見てていらいらする。それでも、すすきの開く直前の姿を見たり、ちらりと見えた広大な湖に癒されながら、電車は僕らをその憩いの盆地へ運んでいった。9時44分に猪苗代へ着いた。


猪苗代といえば、猪苗代湖という大きな湖と磐梯山というこれまた雄大な姿の山があって、そして野口英世の生まれ育った土地として有名なところだ。僕はDr. NOGUCHIという漫画が大好きだ。僕が小学生高学年のころからマガジンで連載されはじめたその漫画、毎月の小遣いで単行本を買いそろえていた。それは、野口英世の人生を描いた漫画で、ほんとに泣ける。何度読み返しても、涙が出なかったときはないほど、泣ける。野口英世は僕の中でのヒーローの一人なのだ。だからこそ行きたかった野口英世記念館。だからこそ、東北本線で本来なら直接仙台まで行くところを、こうして寄り道して来たのだ。その野口英世館のほかに、猪苗代には世界のガラス館や猪苗代地ビールが飲めるビール製造所とレストランがある。猪苗代駅からはバスを使ってこの観光地へ移動する。降りるところでボタンを押し忘れ、急いで道の途中で降ろしてもらった。しかし、そのハプニングのおかげで、見る予定のなかった野口英世を記念した切手が展示されている郵便局にも立ち寄ることが出来た。さて観光に入る前に、レストランで食事だ。というのも昨日の夜を食べて以来、まったくなにも口にしてなかったから腹がぺこぺこだ。巨大なカツどんで腹がひきちぎられそうになりましたが、なんとか食べ、ガラス館、ビールをまわった。ガラス館はその製造過程が見れるところが休みで、結構期待はずれだったが、ビールはうまかった。あれは、いいね。このたびでは、行くところどころで、その地の地ビールを飲んで周りたいなと思った。


その後野口英世記念館へ行く。国道を挟んでガラス館などから反対側にある。その国道には、「母と子の絆通り」という地下道がある。それは野口英世と母のシカの絆をあらわしたものだ。その地下道を通る。この記念館、野口英世が育った家をそのまま保存し記念館にしたもの。だからこそ、彼が落ちて左手を大やけどした囲炉裏や、そのやけど事件がおきたとき、母のシカが洗濯をしていた小川もそのまま残されている。その他、その当時の生活ぶりがそのまま目の前に再現されるかのように、さまざまな資料が保存されている。ほんと彼はすごいよ。野口英世さん。尊敬してもしきれないね。また、子を思うシカの愛情もすばらしい。アメリカに旅立ち、世界的に名を知れた研究者となった野口英世。15年近く故郷を離れ、日本を離れていた。次いつ会えるか分からない不安に駆られた母はその切実な思いを手紙に託す。読み書きが出来ない母は、子供の頃、かすかに覚えたいろはで、つたない文字でその気持ちを書いた。「はよきてくたされ。はよきてくたされ。はよきてくたされ。はよきてくたされ。 いしよ(一生)のたのみて ありまする。にし(西)さむいてわ おかみ(拝み)。ひかしさむいてわおかみ しております。きた(北)さむいてわおかみおります。みなみ(南)たむいてわおかんておりまする。」その直筆の手紙も展示してある。涙が出た。こういうものに弱い。自分は常に親に対して感謝の気持ちはあるのだが、それを表現するのはとことん下手だ。素直になれない。溜めに溜め込んでいるその気持ちは、こういう感動話によって外に出てくる。とにかく野口英世記念館は満足できるものだった。


その後、猪苗代駅にもどり、電車に乗り、会津若松まで行った。乗り換えて喜多方へ向かう。もちろん目的は喜多方ラーメンだ。しかし昼の大量の食事せいで彼女はまったくおなかがすいていないらしく、わざわざ喜多方まで行ったにもかかわらず、ラーメンを食べずに、おしゃれなカフェで冷やしぜんざいなど食べて涼む結果となった。喜多方滞在1時間もなし。ラーメン好きとしてはかなり後悔の念をのこし喜多方を去る羽目になった。これもしかたない。2人で旅をしているのだ。身勝手な欲は慎むのが正しい。もう一度会津若松に戻り、乗り換えて猪苗代に行く。コインロッカーに入れていたボストンバッグをとり、郡山行きの列車へ乗りこんだ。戻りも結構早く感じた。郡山には18時29分に着き、10分の乗り換え時間を利用して、期間限定の山菜弁当と福島の2大地鶏弁当とペットボトルのお茶を買いこみ、18時41分郡山発福島行きの列車へ乗り込んだ。その電車の中で、その弁当を食べ、すかした腹を満たしていく。電車の外はすでに暗い。電車の中で見かけるのは仕事帰りのサラリーマンと、制服姿の学生だ。19時27分に福島について、仙台にいく電車に乗り換えた。都市に着くたびに同じような面々が乗り込んでくるが、離れるにつれて外の明かりは少なくなり、車内はまたひっそりとしていく。仙台に近づくにつれ、また乗客は多くなったが、もう時間は遅い。都市に帰る人、というのはさすがに少ないであろう。夜の時間を仙台という町で過ごそうとする人のほうが多いのかもしれない。20時52分に仙台に着く。改札を抜け、駅周辺地図で予約していたホテルを探す。幸いにも駅からすぐの場所にあった。といっても、駅から近いホテルを選んでいたのだから当たり前のことだ。


やっぱり仙台は都会だ。落ち着く。


チェックインをする。ベッドに寝転んで、今日一日の出来事を考える。0時0分を切る前からその一連の出来事は始まっている。事が多い。今日一日の移動距離だしてみたいものだ。座りっぱなしで疲れた。電車でやることといえば、外見てるか、寝てるか、本読んでるか、のどれかしかない。でも、楽しい。いくら疲れても、最終的に出てくる感想がそうじゃなくっちゃ。旅とはそういうものだ。


楽しい。


東北旅行は始まったばかりだ。これからどんな場所が待ち受けていて、どんな出来事が待ち受けていて、どんな出会いが待ち受けているのか。そんな期待感をいっぱいにして、ホテルのやわらかい枕に頭を沈め、深い眠りへ入っていく。



→→→2日目へ
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