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出張中はなかなか忙しいですわ。
限られた期間の中で、目的を達成しなければいけないわけだし、
そうすると、休む暇もありませぬ。

さて、そんな日々ですが、
ひさしぶりにEaglesにはまってます。

昔はビートルズやイーグルスといったところを
すごく聴いていたときがありましたが、
今ふとしたときに聴くと、
また新鮮なものに触れた気がします。

定番なところでHotel California。
すごい完成度が高くて聴くたびに衝撃受ける感じ。
歌詞の内容も深いし。
Tequila Sunriseはちょっとした大人な感じがいいですね。
で、Last Resort。
この曲はほんといつ聴いても考えさせられる。
略奪・搾取のアメリカを歌ってるんだけど、
そのなんともいえない悲愴感。。。
20年以上経った今でも、色あせない内容です。

Don Henleyの歌声がさらに光らせています。


最近の曲は、軽いものが多いなぁと思うけれども、
これもそういう時代なのかなって思ってしまう。
だとしたら1970年代というのはEaglesのような
バンドが活躍できた時代。

疲れたときに、
ふと戻りたくなるところです。


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バンコクから西へ車で2時間ほどいった町、カンチャナブリにはたくさんのアトラクションがあります。そのなかの一つがTiger Temple。

そもそもこのお寺の始まりは1994年で、傷ついた動物を介抱し、再び野生へ返していたそうです。その中でもトラがこのお寺の象徴となり、トラのお寺、Tiger Templeとして一躍有名になったようです。

ここまでの話は、とてもほほえましく、すばらしく共鳴します。

ただ、実際に行ってみると、目にした現実は期待を大きく裏切るようなものでした。

まず、入場料300バーツ。300バーツ(約900円)?つい聞き返してしまいました。日本でも"並"の値段ですね。この物価が安いタイで300バーツって信じられません。ちょっとおかしいなぁって思いながらも中へ入ってみると、その理由が分かりました。

敷地内いたるところ建設中。つまりその建設資金のためってことです。

え?自然を守るため、野生動物を守るための場所でしょ?しかもお寺なんでしょ?なんでそんなあちこちに動物園のような、見世物のようなものを作ってんの?なかにはショーをやる目的かと思われるようなものまで。

そして目を疑ったのが、トラと一緒に写真を撮ることができるTiger Canyon。人工的に地面を削り作り出された渓谷(なんと滝まである)に、何頭かのトラが寝かされて、観光客が一緒に写真を撮ることができるという場所。多くの観光客が「トラと一緒に写真が撮れる」と興奮しながら列を作っていましたが、僕はその光景を見て、愕然としました。



え?トラってそんなにおとなしいの?いくら手なずけられてるからっていっても、そんなにグタってずっとしていられるの?

そんな素朴な疑問に待ってましたといわんばかりに、入り口でもらったパンフレットにはこう書いてありました。(一部省略)

*ほとんどの猫科の動物は日中の熱い時間は寝ています。夕方気温が下がってくるときに活発になります。
*ここのトラは人間の手によって育てられたため、人間に対する恐怖はありません。獰猛な行動は、食うか食われるかのストレスフルな環境にいる野生のトラに見られるものであり、子供のときから人によって育てられてきた私達のトラは、それがゆえに人が隣にいても安心して寝ていられるのです。

だからといっても、あんなにぐたーって寝るのかい?ちょっと離れたところで見世物になっている赤ちゃんトラは同じ暑さでもきーきーないてるのに、大人のトラはそんなにぐたーって寝れるのかい?何頭もいるトラたちみんな、同じように動くこともなくぐたーって寝るのかい?一匹でもちょっとよそよそと歩いて、慣れ親しんだ僧侶さんにすりすりってやってもいいんじゃない?それが手なずけられてる証拠じゃない?みんながみんな同じように腹見せて寝る必要ないんじゃない?もしかしたら薬とか飲まされてるんじゃないのかなって思ってしまうほどです。あれ?そもそも野生に返すことが目的なんじゃないの?手なずけて人に見世物にしていいの?あれあれ?トラに膝枕して撮ってもらえる”Special Photo”が1000バーツっていくらなんでも法外的じゃない?そもそもそんなに人になれているのであれば、みんなに膝枕とかだっことかやらせてあげてもいいんじゃない?

(実際パンフにかいてることがホントかもしれないですし、真実はわかりません)ただ、自分がそう思ってしまった以上、このお寺(?!)を楽しむことは全くできませんでした。

ここは何のために存在しているのですか?結局、利益目的ですか?敷地内にいる数多くの欧米人ボランティア。なぜこのお寺に集まるのですか?お寺としての施設なんて微々たる物しかないですよ。それなのに、動物園みたいなやつをいっぱい作っているし。ほんとなにがなんだかわかりません。一緒に行ったタイ人もかなり胡散臭いと言ってました。

今回の出張の最初の週末である今日、
かねてから行きたかったカンチャナブリというバンコクから2時間ほど西へ行ったところにある街へ行きました。

なぜこの街に非常に来たかったのかというと、第2次世界大戦中、日本軍がビルマへ攻め入る際、軍事品、日欧品を輸送するために築いた線路の象徴となるクワイ川をわたる橋があるからです。「戦場に架ける橋」という有名な映画があるみたいですが、僕は一度も見たことはありません。ただ、10年前ミャンマーに住んでいたとき、この泰麺鉄道(日本軍が建築したタイとミャンマーを結ぶ鉄道)について少し読んだことがありました。一度でいいから、訪れてみたい。タイに来る機会が増えるにつれて、その気持ちも膨らんだのです。


さて、これがその橋です。通称”The Death Railway”呼ばれるこの鉄道の象徴的な橋です。

この橋、この鉄道には重い歴史があり、多くの犠牲の上に築かれ、今もここにたくさんの人の想いを架けている橋です。

少し、その歴史を書いてみます。
1941年に日本軍が太平洋戦争を開始し、大東亜共栄圏という名の下に、連勝に連勝を重ねアジアで領土を拡大。さらにビルマ、インドへ侵攻するための物資を輸送する目的でこの鉄道を建設することになりました。総長415キロ。この橋は1942年10月から翌年9月まで1年足らずで完成させられました。

その労働者となったのが、戦争捕虜たちです。アジア地域、欧米諸国からかき集められた捕虜達は、休むことなく、たとえ病気になったとしても、倒れ死ぬまで働かされました。その数、20万人以上。その中で、亡くなったのは10万人に上るといわれています。機械というものはなく、すべてが人の手によって建設されたのです。

この橋は一度空襲によって一部破壊されています。そのときにもこんな悲劇がありました。
空襲警報を受けた日本軍は、急遽捕虜達を橋の上に立たせました。捕虜達には「仲間が迎えに来たから手を振ってやれ」と。しかし日本軍の思惑は、「捕虜が橋の上にいれば爆撃はしないだろう」といったものでした。アメリカ軍の飛行機が飛んできたとき、捕虜達は気づきました。必死で自分達は捕虜だということをアピールしました。しかし、パイロットには任務があります。彼はその任務を遂行するため爆弾を落としました。何百という人間が一度に爆撃され、このクワイ川は数日間その腐敗臭で使い物にならなかったそうです。



上に書いたような戦争という悲劇の歴史は、この橋の脇にあるWorld War II Museumに記されています。日本軍の車、バイク、アメリカ軍の爆弾、そして数多くの写真とともに、その事実を伝えています。

日本の教科書では知ることのできない歴史。

時代には時代を象徴する出来事があり、出来事がまた時代を形成し、どの時代にも時代を支える人がおり、また時代を象徴するヒーローがいます。彼もまた人であり、時代を懸命に生きる人間です。歴史を否定することはできず、時代のヒーローを否定することもできず、僕らはこの歴史の上に立ち、生かされ、この時代を懸命に生きる。

そんなループのような思考をめぐらせ、司馬遼太郎ならなんていったかなって考えながら、また今日という一日を生きたのです。

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