旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間) 移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス | ||
![]() | ![]() | ![]() |
8/27(四日目): 盛岡 (岩手)→花巻 (岩手)→盛岡 (岩手)→小岩井(岩手)→盛岡 (岩手) (赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。) |
昨日、急遽予定を変更したために、今日は昨日のうちに行く予定だった花巻での宮沢賢治記念館などの宮沢賢治関連のところへ午前中に行き、それからもともと一日過ごす予定だった小岩井農場へお昼から夕方まで行くことにした。そのため、今日も忙しい。また朝早い出発なのだ。
6時ごろ目を覚まし、出かける準備をする。盛岡を7時52分に発つのだ。そのために、食事の時間と彼女の化粧時間などを入れて逆算していくと大体6時ごろの起床が一番よい。しかし、寝不足気味になるのが難点だ。出かけるすべての準備をして、部屋を出、フロントに鍵を預ける。そして、ロビーに用意されているパンとコーヒーをいただく。安いシティホテルなのだが、このホテルのいいところは、ちょっとした朝の食事が込みで、また駅のまん前ということだ。移動が多い旅行にはもってこいだ。パンを食べ、コーヒーで寝不足気味のだるい目に渇を入れる。
さぁ、花巻へ。



宮沢賢治。奇しくも僕と同名(もちろん同姓ではないが)であり漢字も同じため、何か昔から不思議な思いがあり、とても気になる存在だ。宮沢賢治の作品は好きだ。昔、「注文の多い料理店」や「銀河鉄道」など夢中で読んだことがある。記念館で彼の生い立ちやその当時の時代情勢などをみることによって、詩人であり童話作家である宮沢賢治という人間のすごさを知ることが出来た。資本主義という新しい社会構造が出来上がっていき、労働者がどんどん首を絞められていく中、あのような夢のある話を次から次へと生み出していくその無限の感受性にとても強いショックを受けた。それと同時に、彼の字の汚さにもショックを受けた。









バスの中では、爆睡だった。相当疲れている。

こうして、この日は終わった。

3日目へ←←←
→→→5日目へ
PR
旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間) 移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス | ||
![]() | ![]() | ![]() |
8/26(三日目): 仙台 (宮城)→一ノ関 (岩手)→気仙沼 (宮城)→盛 (岩手)→釜石 (岩手)→宮古 (岩手)→盛岡(岩手) (赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。) |
今日は仙台を発つ日だ。さらに北へ向かい、宮沢賢治がイーハトーブと呼んだ岩手県へ入る。花巻で宮沢賢治記念館などを宮沢賢治ゆかりの地を見て周り、さらに北の盛岡へ進み、石川啄木などのゆかりの地を求める。東北本線を北へまっすぐ進む予定ということだ。
朝は早い。8時2分の東北本線仙台発一ノ関行きの電車に乗るのだ。彼女の化粧の時間はあいかわらず長い。待っている時間はこれまた妙に長く感じる。たぶん、この先なれることはないだろう。その時間を含めて、早めに起きることにしないと。僕は学習した。7時30分ごろホテルをチェックアウトし、仙台駅へ向かう。心配していた台風は太平洋へ大きく反れ、仙台の空は青空が覆っていた。早めに駅に着いた。今回はホテルで朝食を食べなかったので、途中で食べれるように、仙台駅で駅弁を買いたかった。駅弁販売コーナーへ行き、狙っていた牛タン弁当を買う。この牛タン弁当、以前テレビの何かの特集で、そのすごさを知っていたが、なんとある仕掛けで弁当を温めてしまうのだ。牛タンは一度火を通して冷めてしまうと、かなり硬いものになってしまう。やわらかい牛タンを温かいご飯の上に乗せて食べてもらいたいと、この弁当の考案者が知恵を振り絞って作り出した弁当なのだ。とにかく、僕はその弁当をどうしても試してみたかった。
その弁当をいれたビニール袋を手に、電車に乗り込む。その弁当を手に入れたうれしさが顔に出ていたらしい。「うれしいんやろ」。彼女に指摘された。一ノ関には9時39分に着く予定で1時間40分ほど電車に揺られることになる。その電車の中で僕は考えていた。このまま東北本線でまっすぐ北に上っていいものだろうか。もっとおもしろいことが他のルートに隠れているかもしれない。インターネットで時刻検索をし、予定を立て、その予定がプリントしてある白い紙(この旅で、僕らは自然と白紙と呼ぶようになる)と時刻表、路線図を何度も何度も交互ににらみ続け、予定されているルートに打って変わる面白そうなルートを思いついた。それは一ノ関から大船渡線に乗り換え、一路太平洋へ向かう。気仙沼や盛を経由し、そしてリアス式海岸と呼ばれる入り組んだ海岸を眺めながら走る三陸鉄道にのって太平洋沿いを北へ向かい釜石まで行く。そしてまた海岸沿いに進み、宮古で乗り換え、山田線で再び内陸部へ入り、盛岡へ着くというもの。
予定を変更する際に考慮しなければいけないことが3つある。一つは、今夜のホテルが盛岡に予約してあるという事実。つまり、夜には盛岡に着かなければならない。二つは、今日予定していた宮沢賢治記念館がある花巻を明日にずらさなければならないこと。3つは、盛岡後の予定が、盛岡から山田線で太平洋へ出て、宮古で乗り換え(宮古で一泊)、北リアス式海岸沿いを走り、八戸へ行くこと。これらの考慮事項をすべて解決していかなければならない。まず、一つ目の、夜は盛岡に行かなくてはならないというのは、時刻表で予定を組んでみたところ、夜9時には盛岡につけることが分かった。2つ目の、花巻観光をどうするかという問題は、花巻観光を明日の午前中に入れ込むことが可能と考え、解決。3つ目の、太平洋沿いから八戸へ向かうということに関しては、この針路変更で南リアス式海岸を走るのならば、わざわざ来たリアス式海岸をとおることもなく、盛岡からは直接八戸へ向かう、IGRいわて銀河鉄道乗ればよいじゃないか、という結論に至った。




電光掲示板に気になる文字がある。11時26分発「義経北行伝説1号」。なんだこれは。早速時刻表で調べてみる。どうやら、夏季限定の臨時列車で、仙台を9時47分に出発して、一ノ関、平泉、花巻を経て、釜石線に移り、終点を釜石とする、義経が北へ逃げていった足取りを追うという特別企画列車であるらしい。
乗りたい。

11時25分発の大船渡線盛行きの列車に乗り込む。はじめ、のんびりとその山沿いを走る列車に揺られながら本を読んでいた。途中で、おじいちゃんおばあちゃんツアー御一行が乗り込んできた。それは、猊鼻渓という駅からだった。猊鼻渓は、砂鉄川の中流にある景勝地。電車からその一角でもいいから見えるかなと期待したが、全くもって無理だった。そのおじいちゃんのばあちゃんらはそこを見てきたのだろう。ツアーの引率は若い男性だった。途中、お茶を配ったり、弁当を配ったり、おじいちゃんの話し相手になったりと、シンプルだけど、気を使う職業なだけに、大変そうであった。その御一行でおどろいたことは、おじいちゃんたちはデジタルカメラを駆使していたこと。完全に使いこなしている。また、話のネタが、あのパソコンのCPUがどうのこうのでね、OSがXPだからどうのこうので、と全く最先端な話をしておられる。こんなおじいちゃんたちであれば、孫たちとEメールで連絡しあったり写真を送ったり、もしかしたら、ネットでテレビ電話なんかしているのかもしれない。これからはそういう時代なのだ。このおじいちゃんおばあちゃんらとは、結局宮古まで一緒になることになる。








お店を出て、ホテルまで戻る。どことなく、居心地がいい空気が流れる。盛岡、いい町だなぁ。

2日目へ←←←
→→→4日目へ
旅行期間:8/23/2005-9/2/2005(11日間) 移動手段:鈍行列車(JR)+長距離バス | ||
![]() | ![]() | ![]() |
8/25(二日目): 仙台 (宮城)→松島海岸 (宮城)→松島観光→(フェリー)→本塩釜 (宮城)→仙台(宮城) (赤字は観光した場所。それ以外は乗り換え地点。) |