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昨年から長く深く傷をえぐり続けるサブプライムローン問題。
ふと、ある本を読みたくなった。

宮部みゆき 「火車」

ミステリー小説とは、
社会問題、経済問題を背景に描かれていることがおおい。
逆に言うと、そういった問題があるからこそ、
それに呼応して事件をネタにストーリーが作れるのか。
宮部みゆきの作品の中でも、
この「火車」は色濃くそういった要素を持っている作品だ。

かつて、大学時代、日本文学の授業を取った際、
現代文学として火車を読んだ。
英タイトル:All She was Worth
英語で読んだせいか、細かい内容は理解できてなかったもしれないが、
ストーリーはよく覚えている。

80年代の住宅ローン問題、カード社会、バブル崩壊の一連の
異様なマネー社会のなかで、多重債務者となり、
社会からも追放され、人生を狂わされた人々が続出。。。。
1992年に書かれたこのストーリーは
身内に起こったささいな出来事から
他人事と思っていたこの異様なマネー社会の
その現実と問題を直視せざるおえなくなる展開へ。

小説としてのおもしろさは十二分だが、
読み終わったあと、ものすごい切ない気持ちがはびこるのはなぜだろう。

毎回出張に行くたびに、本を数冊持っていくが、
今回はまずこの「火車」を読んだ。

数行引用したい
「お金もない。学歴もない。とりたてて能力もない。顔だって、それだけで食べていけるほどきれいじゃない。頭もいいわけじゃない。三流以下の会社でしこしこ事務してる。そういう人間が、心の中に、テレビや小説や雑誌で見たり聞いたりするようなリッチな暮らしを思い描くわけですよ。昔はね、夢見てるだけで終わってた。さもなきゃ、なんとしても夢をかなえるぞって頑張った。それで実際に出生した人もいたでしょうし、悪い道へ入って手が後ろに回った人もいたでしょうよ。でも、昔は話が簡単だったのよ。方法はどうあれ、自力で夢をかなえるか、現状で諦めるか。でしょ?」

かつては簡単だった夢を追うか、諦めるかの選択が、
クレジットやサラ金の登場で一般市民が、
実体のない幸せを手に入れるようになる。

本の中で出てくる
「ただ幸せになりたかっただけ」というセリフからは、
そんな幸せな気分に浸っていたかっただけ、
こんなはずじゃなかった、という気持ちがうかがえる。

実際、多重債務に陥る人が悪いという思いをもってしまいがちだが、
そこもぴしゃりと、社会全体の問題であると説く。
話の中でも出てくるが、
たしかに、お金の使い方、クレジットカードとの付き合い方を
学校で教わった記憶はない。
生きるすべを教えるのが教育の目的の一つなら、
真っ先にお金について、教えるべきなのかもしれない。

カードの便利さを知り、はまり、
気づいたら返済に追われるようになり、
そしてサラ金に手を出し、一つの借金を返すために、
別のところかリ、それを繰り返すうちに、
もうにっちもさっちも行かなくなり、自殺。自己破産。

ほんと怖い。


さて、この話とサブプライムローンには
すごく似通ったものがある気がする。
まぁ、この話というよりは、かつてのバブルと、といったほうがいいかも。

実体のないところで得体の知れないものが膨れ上がり、
何かのタイミングでぽんっとはじけ、しぼんでしまう。

社会的、経済的弱者に対し、
夢(ブッシュのいうアメリカンドリーム)を見れますよ、といって
住宅価格の上昇を前提とし数年間だけ金利が低いローンを組ませ、
家を買わせる。
思いがけず、簡単に家を買えたと人は夢を見ているのだ。

所得が上がらなくても、住宅価値が上がっているから、
追加借入が可能となり、債務者は返済のため次から次へと
他の金融機関から借り入れ、気づかないうちに
借金を膨らませる。

ただいったんこのシステムの前提だった
住宅価値の上昇の方程式が崩れると、
それまでのような借り入れができなくなり、破綻。

本当なら、とうに破綻していたのを、魔法のようなシステムで
先に先に延ばしていただけ。気づけばさらにひどい状態で目を覚ます。

個人的にサブプライムローン問題が怖いなって思ったのは、
これらのシステムを仕掛けたのがウォール街のエリート君たちだってこと。
金融工学なんて言葉も出てきて、航空工学理論と同じだなんて。。。
強きものが弱きものを狙うという世の常はあるものの、
人の人生を抱え込んだ実体のないものがゲームのように遊ばれて、
プレイヤーも観客もにたにた笑ってるような、
今のマネーの動きを見ていると、そんなイメージが浮かんできます。


20年近く前に書かれた「火車」
このストーリーがまたこの時代になっても、
重い意味を持ち続けている。

同じ道を歩むのか。


なんとなく、
ぼけっと「生きる幸せ」を一日中空を見上げて
考えてみるのもいいかなって思った。
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今、サイクロンの被害で苦しむ国、ミャンマー。
一般的に外国(特に欧米)ではミャンマーでは通じず、
バーマ(Burma)という前の国名のほうが分かってもらえます。
日本語で言う「ビルマ」ですね。

それは、国によって現在の軍事政権を認めておらず、
その軍事政権が決めたミャンマーという国名も承認してないからです。
アメリカなんかは、その一例ですね。

(どっちにしろ意味は同じです。)

さて、そのミャンマーにかつて住んでたことがあります。
だからこそ、ミャンマーにたいする思い入れも強く、
今回のサイクロン被害、軍政の対応などなど、
非常に胸が痛むところがあります。

国際支援を受け入れたと思ったら、
思った以上にお金が入ってこないから、不満をぶつぶついう軍政。
結局金目当てなんです。
被災者たちに確実に届く支援、ミャンマーに対しては、非常に不安です。
それでも、日本に戻ったら寄付はしたいと思います。
すこしでも役に立てれるように、少しでもすくえるようにと願いながら。


さて、ミャンマー時代の写真もPCに少し入っているので、
久しぶりに見てみました。
10年前、97年~98年なので、当時16歳ですよ。いやーわけー。

学校帰りにこうやって道端のカフェであまーいミルクティ飲んだり。


一人暮らしをしてたのですが、これは2番目に住んでたアパートです。
何階だっけな?7階とか8階ぐらいに住んでて、
毎日階段を上ってました。窓からはシュエダゴンパゴダという
一番大きな金色に輝く仏塔が見え、ライトアップされた姿はすごくきれいでした。

殺風景な部屋ですが、勉強したり、ギター弾いたり、
いろんな思い出があります。


ミャンマー国内を友人一家と旅行した先で、
地元の人たちがチンロンをやっていました。
(タイで言うセパタクローだけど、ただみんなでリフティングする感じ)
飛び入りで参加したときの写真です。

ここではいているジーンズはSTUDIO D'ARTISANのもので、
当時はブラックジーンズのように濃紺でしたが、
その後もずっとはき続け、見事にいい色落ちしました。
今でもリペアを繰り返しながら、現役ではき続けています。


熱い仏教の国。
人はみなやさしく、心がきれいな国です。
ただ軍政/圧政という庶民のかけ離れたところで膨らむミャンマーのイメージが、
とてもむなしく思えます。
民主主義指導者のアウンサンスーチーさんの軟禁もさらに半年延長になり、
さらに、軍政の思う壺です。

内政干渉はたしかによくないかもしれませんが、
ミャンマーの人々の苦しみを、どれだけ積み重ねればいいのでしょうか?
国際社会の注目を浴びるミャンマー。
国際支援が人々にいきわたるように。
そして、少しでも早く民主化への布石をうてるように、
何か動きがあればいいのになぁと、常々思う今日この頃です。

昨日は、雨、風強い日でしたが、
彼女が買い物したいということで、
先月オープンしたイオン大高店行ってきました。

ここは国道23号、国道302号、伊勢湾岸自動車道、
名古屋高速道路3号大高線など多くのメジャーな道路が入り乱れている、
集客という観点ではベストな立地にできた190もの専門店が入る
巨大なショッピングセンターで、実際の客入りもすばらしいものがある(と思う)
JR東海道線沿いの土地区画整理地に建てられたものだけど、
なんと来年春には目の前に新しい駅ができるらしい。

ここ数年のイオンの勢いはすごい。
各地に続々と建てられる巨大ショッピングセンター。
実際この大高店の周りには東浦店、有松店と同じイオンがひしめいている。
なーんか、各町に一つのイオンみたいな感じがとても好きじゃありません。

立地や新駅のことを考えると、この大高店はすばらしいと思います。
幹線道路と線路でかこまれたこの使いにくい土地に
人を集める魅力のある巨大ショッピングセンター。
いい利用方法だと思う。
今後この名古屋緑区の人たちだけでなく、周辺地域住民をどんどんすいこんで、
かつあせることもないだろうと思います。

ただ、その勢いが勢いだけに、土地があれば、
とりあえず作ってしまえてきな印象を受けるのは僕だけでしょうか?
実際、イオン大高店のつくりがすごく好きじゃありません。
建物の中は最近よくありがちなレイアウトになっていて
買い物しやすくていいと思いますが、新しさが全く感じられない。
どこのショッピングセンターいっても同じような作り。
正直、飽きてきてます。

また駐車場だとか周辺道路整備だとかがどうもちょっとね。。。。
道路は今後整備していってアクセスしやすいものに
なっていくと思いますが、
なんですかあのつぎはぎのような駐車場は??
車でしかいけないこの立地、名古屋という車社会で、
なんでもっと使いやすい駐車場がつくれないの??

と、大高店への辛口コメントを書きましたが、
巨大ショッピングセンターとして残るべきものは
こういった立地条件を満たした店だと思います。

2年ほど前ぐらいまえから、そろそろ巨大ショッピングセンターも
勢いを失ってくるだろうなって思ってきました。
ただそれは、巨大ショッピングセンター全てではなくて、
大高店のような立地条件、土地柄が満たされれば、
残るショッピングセンターだと思います。
逆に、地元岐阜に数年前にできたモレラ岐阜は、
完全に失敗だとおもいます。

というのも、ここまで似たようなショッピングセンターが乱立すると、
それぞれのところで特別なものがない限りは、
そこへ行こうという人も少なくなる。
だとすると生き残る条件というのは、いかにアクセスしやすいか。
さらにその巨大さゆえに維持するための集客を得るには、
その土地だけでなく周辺地域も巻き込む必要もある。
そのためには特別な何かが必要だけど、それがないとなると先はない。
結局イオン大高店のような立地条件が必要となる。
そのうちクローズするところもだんだんと出てくるのではないでしょうか?

では、商店街が息を吹き返すときはいつなのか。
これについてはまた意見をまとめて書いてみたいと思います。

<イオン大高店をみて感じたことを整理することもなく文章にしたので、
矛盾とか間違いがあるかもしれません。ながい文章になってすみません>

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